死者を鞭打つ、というほど私は偉くも賢くもなく恥ずかしいけれど、私の子どもの頃に、華厳滝から身を躍らして死んだ有名な第一高等学校の学生(現在の東大教養学部)がいた。滝から飛び下りる前に、木の肌を削って詩を書いた。大きな自然に対して自分はいかに小さいものであるか、人生というものは不可解であるという内容のものであった。けれども、この死の原因は、ある娘さんに恋をして、手紙を書いたけれど返事がないので悲観したのだという話を最近新聞で読んで、自分の願いが届かないために自殺するということは、そのひとへの復讐ではないかと思った。これも新聞に報道された話で、国立大学の教育学部の大学院までいっている学生が、自分の交際していた女が、別の相手と交際していたということで、相手を殺した。教育学部というのは、多く教師になることが多い。このような、頭はよくても相手の幸せを思えない人間が教師になるのは恐ろしいと思った。だいぶ前のことだけれど、二人の高校生が、群馬県の草津のお釜と言われる噴火ロにできた湖水に飛び込んで自殺した。この二人はまだ十代なので、結婚したいという二人を、親も教師も反対した。それで二人はそこへ行って身を投げたのである。親たちは書き置きを見て、死ぬほど好きだったならば一緒にしてやろう、と思ったのだろう。昔はもう十五歳過ぎれば結婚して一家を持つことができた。親たちがタクシーで急いで山へ走り登ってくると、二人は池のそばの岩の上に立っていた。親たちはこちらから、「おーい、許してやるから戻ってこいよ」と叫んだ。両方の親が声を合わせて「許してやる、許してやる。戻ってこい」と言うその声を聞きながら二人は飛び込み、そのまま死んでしまった。親が許してやるというのになぜ二人は死んだのだろうか。それほど親の言葉が信頼できなかったのだろうか。今まで反対されたことへの、親への復讐だったのだろうか。あるいは本当に十代後半で、結婚して、また高校生活に戻って共に生活を貫いていく自信がなかったのだろうか。マスコミが取り上げた記事は、この二人の心中を美化して書いてあった。「あわれ、湖畔に散りし幼き恋」と同情していて、その親不孝を非難していない。日本には、心中や自殺を美化する風習がある。同時に、恋のためなら何でも許されるように言う。その理性のなさが、私には心細く思える。結婚という一生の大事業の相手を選ぶときも、あまり感情過多のようなひとは警戒した方がよいと思う。
[参考]
東京の教会挙式
http://www.le-anges.gr.jp/chapelle/wedding.html
表参道の結婚式場南青山ル・アンジェ教会
http://www.le-anges.gr.jp/