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伝統的な結婚式の変化

白い角隠しに黒の裾模様の花嫁が、とつぎ先の家の敷居をまたぎ、座敷に座ると、酒宴がはじまり真夜中までつづくといった結婚式は、もう見ることができなくなった。一九五〇年代までは都会でも、自宅で婚礼を行うことはごく普通であり、ホテルで披露宴をするのは、特別な階層に限られていたのである。一九五〇年代以後、いわゆる結婚式場を専門とする会館が増加している。ちなみに、明治記念館での挙式数(披露宴も含む)は、一九五四年には三千組を超え、六〇年には四千組を突破した。翌六一年には初の公営式場である「厚生年金会館」が東京新宿にオープンした。以後、全国各地に結婚式場はふえつづけた。式場での挙式数も、戦後のベビーブーム生まれ(いわゆる団塊の世代)の結婚がピークを迎える一九七五年まで、ひたすら増加の一途をたどってきている。式場での挙式、すなわち“出会い婚”が、自宅結婚にとってかわったのは、一、終戦後の住宅事情により、自宅外の場所を必要とした 一、都市から“嫁入り”の形が消えて、夫の家でも、妻の家でもない“第三の場”での挙式が好まれた 一、従来の仲人結婚の、複雑な仲人役を式場に代行させるようになった の三点と、加えて高度成長による現金収入の増加があげられている(高度成長期を考える会編『誕生から死までの物語』日本エディタースクール出版部、一九八五年)。伝統的な結婚式では、一日のうちに嫁と婿の両方の家で、婚儀を行うことを原則としていた。ところが両家で行う手順を省略して、一ヵ所ですませてしまう方法が、いわゆる“出会い婚”と称して合理化された結婚式となり、一九五〇年代以後に普及して現在に至っているのである。